The Speakers' Corner in KAMOS


このページは私の趣味のページです。独断が多く公表すべきかどうか迷いますが皆様のご意見を伺いたいとも思い掲示しました。私の室内楽との出会いから現在までの室内楽へのこだわりがこめられております。

皆様による追加、補筆、訂正をお願いしたいと思っております。項目を明記してこちらまでご投稿ください。


目 次

合図, アイネクライネナハトムジーク, アインザッツ, アウフタクト, アクセント, アゴーギク, アナリーゼ, アレグロ, ア テンポ, アンコール, ウェーバーの法則歌うということ, ヴィブラート, 運弓法, 演奏, 演奏会, エンディング, おちる, お付き合い, 音楽, 音楽性, 音程, 音量,

外声, ガイド, 開放弦楽譜, 楽譜の貸し借り, 数える, かすみの一手, 聴くこと, 技巧, 基礎, 限界, 弦楽四重奏, 固定ド唱法, 原典版, ころぶ, コントラバス

集中力出版社初見大会小節数シンコペーションスフォルツァンドスコア重音奏法,

立ち往生, 調弦, チェックリスト, 出だし, 内声, 二重対位法,

ハイドン, 反省, はしる, 八重奏曲, 発想記号, 拍子、ファーストヴァイオリン, ピアニスト, ピアノ, ピアニッシモ, 弾けていない, 譜めくり, 譜面台, ブラームス, フレーズ, フレーズのおわり, フルート, ホーマン,

マナー, 万年初見, メロディ, メトロノーム, モーツァルト, リステッソ テンポ, リズム感リズム(テンポ)音痴, リタルダンド, レガート, 練習時間, わらう



合図

 ファーストヴァイオリンの必須課題。これが自然に出来なければ室内楽は始まりません。自信を持つこと。つぎに皆さんの準備を確かめること。そして間をおかず,ためらうことなくさっと合図に入ることです。

 リズムをあわせるよりも気持ちをあわせることの方が重要です。調弦を終えてまだ自分が舞台にいる実感に戸惑っているメンバーの心を一気に、待ったなしの緊張に持っていくのです。調弦に時間をかけ、チェロが出だしの音程を探り終えたらすぐ動作に入りましょう。全員が準備完了していることを必ず確かめるましょう。

 素敵に始まるための最低条件は弦楽四重奏の場合ならファーストヴァイオリンとチェロが同時にでることです。これならばセカンドとヴィオラはファーストかチェロのどちらかにつけることが出来ます。またこのようになっていれば,ひどくみっともないということもないのです。

  一番易しいのは弦楽四重奏で強拍の第一拍目から全員がでる場合です。これは大体のグル−プがうまく行っていると思っているようです。ところがこのような場合でも、後でテープなど聴いてみれば思ったほどうまく行ってはいません。一度確かめてみてはいかがでしょう。

 アーフタクトからでる曲はかなり難しくなります。例えば、モーツァルトの弦楽四重奏曲 ト長調 「春」とかハイドンの弦楽四重奏曲 「皇帝」など。とても難しいのは、ベートベンのピアノ四重奏曲 Op16です。ゆっくりとした序奏で16分音符で、全員がピアノで一緒に始まります。

 

 テンポは一つの音(サイン)だけでは存在しません。ちょっと合図して一斉に入るためには、日頃の練習でメンバ−が同一のテンポを記憶していることが前提になります。普通は特にアダージョやラルゴ等のゆっくりした楽章ではその記憶がまったくあやふやです。

  アーフタクトから始まる曲の場合には、必ず、二つ(四拍子系)または三つ(三拍子系)のサインをしっかりすべきだと思います。ヴァイオリンのヘッドが下にさがった所が拍の頭です。指揮棒と同じでヘッドが底を打って上がってくるところで、皆さんの音がでてきます。ですから、あなたもそうしないと、先に飛び出すことになります。

  練習方法として考えられるのは、メトロノームにあわせてヴァイオリンを振ってみることですが、現実にやってみますと、非音楽的で実に馬鹿馬鹿しいものです。とてもお勧めできません。難しそうに見えて、以外に簡単なのは、底を打ったあと、それに連れて、動きだすチェロの弓に合わせて、あなたが弾きだすことです。

 これは絶対に確実に合います。なぜならばあなたのサインに従って入ってくるチェロにあなたが合わせてあげるのですから、コミュニケーションが双方向になっているわけです。実際には動き出す、チェロの弓と弦の接触点を見ることになります。譜面台の高さに注意しましょう。

 さて、クァルテットが以上のように合えば、ほかの弦楽器や管楽器とは大体旨く行きますが、ピアノだけは難物です。

 大半のピアニストは指揮棒をみる習慣はありませんし、ピアニストが出てしまったらクァルテットはそれに無言でつきしたがう以外にありません。

 ベートーベンのピアノ四重奏曲、OP 16の一楽章の出だしは大変難しい。この場合どうするのが良いかと言うと、ヴィオラとチェロはともかく、ヴァイオリンに何とか、あわしてもらうこととして、とにかく、ヴァイオリン ソナタを弾くつもりで、ピアノだけに神経を集中して、二つ拍を明確に合図して、演奏にはいる以外にないような気がします。

 この曲によらず、ピアノとの室内楽では、弦楽器は一つのグループと考えて、ピアノと出だしをしっかりと合わせることにしたほうが成功率が高いと思います。

 こんな細工を全くしなくても間違いなくピッタリと入ってくれる方もいます。慣れもありますが、天性も勿論あります。でもファースト ヴァイオリニストはこんな幸運を期待せずに合図の練習を続けなければならないのです。

 出だしの練習は丹念に行なうべきです。自分達の合意したテンポできっちり曲が始まれば、90%は成功したようなものでしょう。

「せいの」なんて声をだして、練習していませんか?

アイネ クライネ ナハト ムジーク(Eine Kleine Nachtmusik

 モーツァルトの弦楽のためのセレナーデ K525です。この曲が何とか、演奏できると音楽をやった甲斐があったと心から喜びを感ずる曲。一生のうち何度も演奏する機会がありますがパーティ向け以外ではなかなか弦楽四重奏ではやりません。イディオムが弦楽合奏なのです。コントラバスが欲しくなります。

アインザッツ(Einsatz)

 出だしと言う意味です。気取ったファーストヴァイオリンから、「アインザッツが−−」と言われたときに、ドギマギしないようにしましょう。英語ではアタック(attack)といいます。

アウフタクト(Auftact)

 弱拍のことですが、ここで遅れる方が多いのには驚きます。表情を込めようとの意気込みは良く分かりますが、連続して各パートに受け渡されていくフレーズがあるとき、皆さんが導入の回数だけ溜息のようなアウフタクトを演奏なさったら、聴衆をいたたまれなくなります。何の気取りもなく、テンポどうりに演奏すべき所が圧倒的に多いのです。

アクセント(Accent)

「ある音に前後の音よりも強勢がおかれること」と言う正しい解釈に勇気づけられてアクセントの記号をみたら、ここぞとばかり弓の根本でガリとやってしまいがちです。カルテットの全員が同時にガリッとやりますから大変です。アクセントは雑音記号ではありません。

 ほかにアクセント記号がつかない場合でも、4拍子ならば強拍、弱拍、中強拍、弱拍などのアクセントがあります。これは演奏上、基本的に無視できないことだと思います。ハイドンの四重奏などで例えばチェロが4つの4部音符を刻むときこの原則は守られるべきでしょう。また主題が4小節または8小節の正規な構造であるばあいには各小節の主拍について強拍、弱拍、中強拍、弱拍が考えられる場合もあると思います。スフォルツァンド参照

アゴーギク

 速度法のことです。ラレンタンド、アッチェランド、テンポ ルバートとかのことです。微妙に速度を変えたり、、、。自信があればどんどんやりましょう。難しい言葉を使いたい方が結構いるのです。

 

アナリーゼ

 楽曲分析のことです。よくスコアの始めの部分に書いてあります。ペダンティックなイメージがあり、良く知っていると何となく音楽が良くわかった気になります。だからといって、演奏がうまくなる訳でもなし、指が回るわけでもありません。

 私はアナリーゼが大好きで、自分でこねまわしては悦にいっています。アナリーゼは主として作曲学的な見地からの分析ですが、この結果をどのように演奏に反映させるかについての議論や、見解を述べたものはほとんど見当たりません。

 ゴールドベルク変奏曲を分析したことがありますが、この曲の超絶的な作曲技巧はまさに驚くべきものです。しかしながらもっと素晴らしいことはそのような技巧にも拘わらず(?)全体が、そして各変奏曲が最高に音楽的であり美しい点にあります。

 さて私がアナリーゼの結果を皆様にご説明すべく見事な演奏をしたらどのようになるでしょうか。私の天才的ピアノは皆様に固定バスがどのように変容をとげカノンがどれほど見事に形作られているかを十分お伝えするでしょう。しかしながらその演奏が音楽的であるとは保証出来ません。(注:私のピアノではテーマが精一杯です)

 だからといってアナリーゼを全く行なうことなく良い演奏をしようというのは、時代背景や作曲家について何の知識ももたずに演奏を行なうと同じぐらいに無謀なことだとおもいます。技巧では行き詰まってしまうアマチュアの場合には曲を正しく解釈し、自分なりの意見を持ち音楽を楽しむことは何よりも重要なことだと思います。

アレグロ

 快速に、という意味です。特別快速とか、快速急行などありますが、新幹線みたいには早くないのです。プロの方々が快速に演奏すると私どもには新幹線のスピードになってしまうのが問題ですが、とにかく脱線をしないテンポを選びましょう。速度よりも楽しげな感じが大事だと思います。

ア テンポ

 元のテンポでということです。リタルダンドの後によく出てきます。リタルダンドのムードをひきずってはいけません。すっきりと戻しましょう。初心者のグル−プではリタルダンドごとにおそくなっていくケースがありますが、これは、絶対にいけません。

アンコール

「拍手がないかもしれないから、用意しなくてもいいんじゃないか。」なんて考えないでください。何か必ず用意しましょう。ところが、選曲が大変に難しいのです。 

ウェーバーの法則

 感覚に自身のない方には良い目安です。音量や、速度などに見事に当てはまる法則です。
車の運転をした場合、10km/hで走っているときは1km/h速度が変わるとあなたが変化に気づくとしましょう。それならば、50km/hで走っているときは何キロ変化があれば、あなたはそれに気づくだろうか。正解は大体5km/hだ。というのがウェーバーの法則だそうです。120km/hならば大体12km/hということになるのでしょう。

 さてこの法則を音楽にあてはめて考えてみますと次のようになります。まずアッチェランドで考えますと均等に速度が上がっているように聴衆に感じてもらうためには、幾何級数的に速度を増さなければそのようには聞こえないということです。感覚的にわかっても指が追い付かないこともあります。

 聴衆に均等な変化を感じてもらうために、演奏者は幾何級数的な努力が必要ですから大変です。リタルダンドもクレッシェンドも全て対象になると思います。

歌うということ

 音楽にとって最も必要なこと。演奏中にうんうんうなることではありません。リヒテルがうなっても誰がうなっても気持ちがいいものではありません。歌うということは作曲家の書いた音符や休止符のつながりに命を与えることだと思います。そして音楽をするということは自分の歌い方を見つけることと殆ど同意義だと思います

 どのようにすれば良いのでしょう。先ずは自分の歌い方を探すこと、そしてその歌い方が本当に好きかどうか、もっと気に入る歌い方が無いかどうか、自分の心の中を探し回わり納得することだと思います。自分の気に入った歌い方が二通りある場合には悩むことになります。しかし、一度に一通りしか演奏できませんから、あなたは最終的に決断することになります。

 最終的に選ばれたものが表情に富むものだけとは限りません。前後の関係から、えらくそっけのない場合もありましょうが、それがあなたの最善であればそれで良いわけです。あなたの歌い方はあなた自身の音楽体験に従って次第に変化していくのが普通です。それこそが音楽的な成長であると思います。

 歌の範囲はメロディといわれるものだけではありません。全ての音が対象になります。(ほかのパートも対象になります。)あなたが演奏する全ての音について「私はこう演奏したいのだ」という決定をしてください。現実の演奏は指がまわらなくて惨憺たるものであったとしてもあなたの音楽はそこに存在しているといえます。ただ楽譜を音にするだけの演奏とは本質的に大きな差があると思います。

 発想記号と歌の関係ですが、私は発想記号を無視した歌い方は間違いだと思います。作曲家が指定した音の高さを変えるなど絶対ゆるされぬと同様に、発想記号を無視することは明らかな間違いです。作曲家の発想記号とあなたの意見が違う場合にはなぜ違うかを考える訳です。その結果作曲家の発想記号が有効で適切であるためには、あなたの歌い方を他の部分も含めて大きく変更しなければならないことになるかもしれません。

 このようにしてあなたの歌は正しく解釈された歌に修正されて行くわけです。同時に、作曲家の偉大さに驚くこともありますし、誰かが自分の解釈どうりに弾いているのを聴きますと一緒に話こんでみたくなります。

 とにかくこう弾きたいと決まったとしましょう。でも初心者には自分の楽器に思いを託することは大変なことなのです。楽器が言うことをきいてくれません。そのような時にはたった一人で静かな部屋の中で難しくないメロディをなんども弾いてみて下さい。そしてどうしたら思うように鳴ってくれるのか楽器に相談してみることだと思います。楽器をものと思わずにパートナーとして考えて相談するのです。きっとなにか見つけられると思います。音のコントロールはこうすれば進歩すると思います。

原典板:参考)

ヴィブラート

 絶対にさけてとおることが出来ない技巧です。室内楽を始めたらまず自由に自分の好きなヴィブラートがかけられるまで練習しなければなりません。これは大変なことです。

 コンチェルトを弾く場合には派手と言うことが常に大事ですからそのようなヴィブラートになるわけです。ところが、室内楽の場合にはヴィブラートをかけるか否かも問題になります。そしてある場合には勿論大変激しいヴィヴラートが必要になります。

 特に、内声に長い音符がある場合、それを歌うか、控えめに弾くかで全体の表情が全く変わってきます。室内楽が音楽性の最高の表現形態とするならば、音色とか、派手さなどとは違った次元の音楽性を表現するためのヴィブラートが要求されてくるわけです。

 どのように勉強すれば良いのかについて書いた本を読んだこともありますが、トッププロもずいぶん色々なヴィブラートをかけているようですし、要は望むヴィブラートが実現できればよいのだと思います。テープレコーダを先生にして丹念に練習するのが良いのではないかと思います。

運弓法

 弓は魔物です。ホラ スタッカートなんかの演奏を見ますと、なぜ一本の弓があんなに自在に動き回るのだろうとおもいます。弓がそんなに違うわけではありません。トゥルテの弓を使わせて頂いたことがありますがホラ スタッカートが簡単に弾けるのは弓の問題ではなさそうです。コツコツと練習すればいつかは出来るのかも知れませんが、残された寿命の計算を先にする必要があります。弓の練習はつまらない。しかし室内楽で主に要求される弓の技法は曲芸的なものではありません。

 この分野で私は偶然に一つの発見をしましたので、ここにご紹介したいと思います。才能に恵まれない人がいかにもひねり出しそうなことですが、、

発見1。弓が弦を押しつける力は、1000グラムから20グラム位の差がある。
発見2。手元(弓の根元)ではそっとピアノのつもりで弓を弦に下ろしても200グラム位はすぐかかってしまう。腕の重みが直接かかるからだ。
発見3。弓先では、通常(無意識にメゾ フォルテを弾く感じ)では30グラム位しか力はかからない。
発見4。弓先で150グラムの力をかけるためには、人さし指と親指に非常に強い圧力がかかる。弓先に力を加えるためには、てこの原理しかありませんから、考えてみれば当然の話です。

  以上の実験は、お料理用の秤に弓を押しつけてみて計りました。正確ではないかも知れませんが大まかには合っていると思います。ぜひ一度試してみて下さい。

  この簡単な実験から何がわかったでしょうか。

1)感動しました。こんなに差があるとは夢にも思わなかったからです。
2)弓先で100グラム位の力をかけたつもりで、実際にヴァイオリンを弾いてみま  したら、実にしっかりとした音が出ます。
3)これで上げ弓と下げ弓の問題から開放されると思いました。アップ、ダウンのど  ちらでも同じ表現が可能になると思った訳です。

 さて弓の元で弓にかかる力を加減することはかなりシンドイ訓練が必要です。つまり200グラム位の力で弾くことは簡単ですが、20グラム位で弾くことは大変に難しいのです。200グラムから20グラムにすぐ落とすのは至難の技です。

 そして元弓で20グラム位の力で音を安定させることも大変な技が必要です。ところが弓先で弾く場合には、200グラム位から20グラムまで瞬時に落とすことは極く簡単なことです。もし、運弓の速度が同じで、弓が弦に当たる幅も同じならば、同じ音量で楽器をならし続けるためには、弦をおす弓の力が一定であることが必要です。

 また、音量を加減するためには、弓の速度を変えるか、弓の圧力を変えるか、その両方を使うかです。特に、細かくて、微妙な表現をするばあいには、圧力で加減するのがもっとも合理的です。そして、フォルテからピアニッシモまで瞬時にコントロールできる場所は弓先、厳密には、上半弓しかないと言うことになります。

 フォルテとピアノの急速な反復、アクセント、クレッシェンド、デクレッシェンド、スビートピアノ等が自在にできるようにな場所は、特にアマチュアにとっては弓先しかありません。

ご努力に期待致します。

 (この件に関連して、赤瀬 善太郎氏による詳細な論文があります。23ページありますのでここには掲載しませんが、赤瀬氏のサイトは http://www.d4.dion.ne.jp/~zen/Vn/index.html です。ぜひご覧になってください。)

演奏

 演奏とは色々な象形文字や魅力的な記号や図柄が並んでいる真っ暗な夜道をドライブするようなものだと思います。運転手は演奏者で同乗者は聴衆です。運転手は道路と図柄を熟知しており同乗者にその道がどんなに美しいかをわかってもらいたいのです。残念ながら口をきくことは出来ません。

 照明は車の近くしか照らしませんから同乗者は遠くまで見通すことができません。目に見える図柄はあくまで運転手が選んだライトによる色調です。運転手が説明するためにはライトの調節(ディナミーク)、スピードの調節(アゴーギク)しかありません。

 つぎつぎとライトを浴びて図柄と景色浮かび上がり、そして後方の闇に溶けて行きますから、路上に明確に犬の絵が書いてあってもそれがダックスフントだったら訳がわかりにくくなります。あんまりゆっくり走ると同乗者は飽きてしまいます。さあ、どうしましょう。

 指定の制限速度で走り抜けるのが簡単明瞭ですが、それで同乗者にあなたの感動が伝わるでしょうか。まして闇夜の高速運転技術を披露することはどれだけ意味がありましょうや。

演奏会

 友達が演奏会を開く。わざわざ出かけるのはおっくうなこともあり、少し迷惑なこともありますが演奏会に出かけてみますと案外楽しいことが多いのです。

 がんばって演奏会を開きましょう。アマチュアの演奏会に来てくださる聴衆は好意的な本当に優しい方ばかりです。聴かせよう!なんて力まなくていいんです。皆さんはあなたの演奏を聴きたいと思って来てくれているのです。

 そうは言っても、一楽章ばかり8曲も聴かせるのは失礼です。弾くほうは聴き映えのするところを沢山と思うのでしょうが、聴く方にすれは出だしばっかりです。全楽章で一つの曲ですから、ぜひそのように演奏会を組みましょう。

エンディング

 曲の終わり方。終止形をどう演奏するかですが、終止形には他の調を借用したり、和音を引き伸ばしたり色々なテクニックが盛り込まれているます。ごく簡潔に纏められている場合でも推敲の結果単純な形態に落着いたということかもしれません。しっかりとした譜読みが必要だと思います。

 演奏上ではリタルダンドなどのかけ方や、特に最後の音を何拍分のばすかはきっちりを決めておきましょう。最後の音の長さは音価の1.5 倍か、2倍です。その時の感じでというのは良い結果に終わりません。曲の冒頭と同じように入念な練習が必要になります。もうあとがありませんから。

 楽章間のエンディングで他のメンバーが演奏の余韻を保っているときに、一人だけさっさと譜めくりをしたり次の楽章の音をとったりするのも興ざめです。せっかちな方は楽譜に「時間をとれ」とでもメモすべきでしょう。

おちる

 みんなと違ったことやっているを感じたときから、再び復帰するか白旗を上げるまでの状態。

 落ちない方法、その1。
 仲間が助けてくれると信じて強引に引き続けてしまう。この方法はピアニストにはいつでも有効な方法。ファーストヴァイオリンにもたまに通用するが演奏会のときだけにしましょう。これをあんまりやるとメンバーから嫌われます。

 落ちない方法、その2。
 これが正しい方法です。危ない所にはガイドを書き込みましょう。書きこみにより大半は解決します。それからスコアを良く読みましょう。そして演奏もよく聴きましょう。それでも落ちたら。演奏をやめて復帰のチャンスをまつこと。「今度はしっかりと数えるぞ」という決意宣言はあまり訳に立ちません。

お付き合い

 自分とは技量が合わないと思っている人や意見が会わないと思っている人と親睦を目的に演奏すること。期待以上の結果がえられる場合が結構多いと思います。思いこみを排してどんどんお付き合いをしましょう。

音楽

 室内楽は音楽のなかでも最も音楽的だと確信しています。これに異論のある方はまずいないと思います。

 ですから室内楽の演奏は技巧の追及ではなく、あくまで音楽の追及であって欲しいと思います。室内楽には余りにも魅惑的な曲が多いため、多くのアマチュアが室内楽のハンターで終わってしまいます。この素晴らしい世界を経験するだけでも十分に楽しいのは良く分かりますがそれだけに終わらせるのはまことにもったいないことです。

 私もハイドンの四重奏に始まりベートーヴェンの初期から中期そして後期、ブラームスの作品、ラヴェル、バルトークなど力の限りの大冒険をしました。編成もピアノの入った作品や、五重奏、六重奏と何でも手あたり次第に演奏しましたので、ゆうに二十年はかかってしまいました。

 こんな冒険を続けている内に一つの疑問に取り付かれるようになってきました。なぜ我々の演奏したモーツァルトの初期の作品がアマデウス弦楽四重奏団の演奏よりはっきりと劣るのだろうと言うことです。テンポも同じに演奏できますし音程だってそんなに違わない。技巧的な面にしてもメンバーの誰もモーツァルトの初期のやさしい作品なら困難を感じません。

 こんなきっかけから弦楽四重奏と音楽を真面目に考えるようになりました。

音楽性

音楽性は授かりものでしょうか。

音程

音程の悪さにはいくつかのレベルがあります。

(1)まず、音の間違い。これも音程の悪さには違いありません。この場合には、はっきりと指摘してあげるのが親切だと思います。

(2ー1) 次に、二分の一から四分の一半音程度ずれているもの。
 これについては直せるものは直しましょうというのがアマチュアの正しく誠実な態度だと思います。この領域の音程についてはお互いの友情にひびが入らないことを限度に最善の努力をつくすべきだと思います。また個人の練習でも直せるかぎりの努力をすることが音楽を愛好するものの誠意だと思います。

矯正法
 まず練習をしてともかくも(1)の間違いがないように弾けるようになることです。
 さらに練習を重ねるにつれて音程のずれかたに特徴が出てきます。ある音はいつも高めに取ってしまい、あるものは低めにという具合です。こうなればしめたものでそこに自分なりの記号を書き込めば大体は直ってしまいます。これで良いとご自分で感じたときに、録音して聴いてみるのが良いようです。あまりはやくから録音しますと絶望の末、練習を放棄しかねません。

 練習してもどうにもならない所については仕方がないと今は諦めましょう。もっと他に練習する所もありましょうし、ふと出来る場合もあります。

(2ー2)ピアノと音程があわない。
 ピアノと合わせる場合にピアノは平均率だからと弦楽パートだけ丹念に調弦している方もいます。ピアノに失礼な話です。ピアニストは私は調律の必要がないからと、澄ましている方もいます。これでは音程が合わないのは当たり前です。

 ピアノとハモらせることにあまり気を使わない方が多いように思えますが、ピアノの高音などはすぐ音が減衰するのでなかなか難しいことです。しかし楽しいものです。

(2ー3)ファーストヴァイオリンの音程の上ずり
 最も良く起こっているにもかかわらずアマチュアがなかなか気づかないのが、ファーストヴァイオリンの高音域でのピッチの上ずりです。これはファーストヴァイオリンだけを聴いてもなかなか分かりませんから一番厄介な問題です。メロディーとしては大変に自然ですからファーストヴァイオリンは普通疑問を抱きません。

 どのような弊害があるかということになりますが、内声の弾きようがなくなるのです。どんなに音を探って和音を響かせようとしてもだめです。ヴァイオリンに合わせるとチェロに合わず、チェロに合わせるとヴァイオリンに合いません。たとえ、あなたが音程に自信があるファーストヴァイオリンニストであったとしても、自分の高音域を良く調律されたピアノ等でチェックしてみてください。愕然とされる方もいらっしゃると思います。

どうすればよいか?
 ファーストヴァイオリンがチェロの音を良く聴いて、正しい音を出す以外に対策はないと思います。ヴァイオィンとチェロは音程の幅が3オクターブ程も離れていることもありますから、大変な注意と集中力がいります。和音は低音を基礎にして積み重なります。この原則は崩せません。

(3)純正調とのずれ
 さらに細かい音程にこだわる方もいます。弦楽四重奏が純正調で響く束の間に無上の喜びを感じる人々です。

 美しい響きを求めるのは結構ですが度が過ぎると全くはた迷惑になります。皆さんは音楽の練習がしたいのです。シューベルトの弦楽五重奏の始まりのところでは純正調のお話しをしてみるのも楽しいと思いますが、、、
 現実的な解決策としては、この部分だけは純正調に響かせようと皆さんの合意を得てから練習することだと思います。弦楽四重奏の特権のようなものですから何音かをぜひ純正調で鳴らしましょう。

音量

(改正中です)

外声             

 和声において最高と最低の声部のことですから、弦楽四重奏では通常ファーストヴァイオリンとチェロになるのですが、実際には二声、三声になっていることもありますし、チェロが高音域に舞い上がっていることもありますから、ある時点で一番高い音を出しているパートと一番低い音を出しているパートになります。だから、誰が、外声を担当しているかは、刻々変化することになります。

 そして、どの時点でも外声を担当する人は次のような高い負荷を担います。
「外声のリズム、音程、音楽的な意味での表情がピタリと合っていること。」理由は、簡単です。そうしなければ内声の弾きようがなくなるからです。どうやってもハモらない、どっちに合わせてよいか不明、ということに確実になってしまうのです。

 あなたがファーストヴァイオリンでメロディを弾いているとしましょう。そしてセカンドとヴィオラが刻んでいるとします。丁度モーツァルトのト短調の弦楽五重奏曲の出だしと同じですが、さてあなたはどのパートに合わせますか。音楽的にはもう一つの外声であるヴィオラが正解だと思います。セカンドはどちらに付けても良いのだと思います。

 さて、ファーストヴァイオリンがヴィオラに付けるべきだと書きましたが、逆にヴィオラがファーストヴァイオリンに付けるべきだと思う方もおられると思います。ここは、まさにアウンの呼吸だと思います。一つの解釈に同意し共有するために練習が重ねられるです。同じ楽想を共有していれば、相手のテンポに合わせれば良いことになります。お互いに相手に付けるということです。いづれにせよ外声に二声部はあっていなければなりません。

 強いていえばどちらが主導権をとるかという問題になればそれはメロディを担当するパートです。

ガイド(リード)

 あなたのパートの入りを明確にするため、または対応するパートの動きを明確にするために書き込まれた他のパートのこと。これがあると、休符の数を数えるという非音楽的作業をしなくてすみます。危ないと思ったら自分で書き込みましょう。演奏会で自分の知能指数が一時的に落ちている状態を見越して、はっきりと正確に書いておきたいものです。

開放弦

音程で悩まずにすむ4つの音です。音色が違うので使わないようにしている等と贅沢を言う方を良くお見かけしますが、それは良い音程がとれているという条件で初めて成り立つことです。

調弦のところで書きましたが4弦とも丁寧に調弦しましょう。特にヴァイオリンのG線やヴィオラのC線の調弦は難しいと思います。

開放弦が教えてくれる重大かつ深刻な問題

1)ヴァイオリンならば、慎重に調弦したあとへ長調の音階を弾いてみます。E線の音はあなたの思いどおりの音でしたか。それなら今度はホ長調で音階を弾いてみてください。E線の音はあなたの思いどおりの音でしたか。この2つによりあなたがファーストポジションを適切にマスターしているかどうかを簡単にチェックできます。(ヴィオラ、チェロならば変ロ長調とイ長調です。)

 音程の幅に関する議論は別として、まずは平均率でしっかり鳴らせるという室内楽初心者の必須条件のチェックには適切な課題です。

2)高音から一挙に降りる開放弦の音は高音域でのあなたの耳の確かさをチェックする最高の道具です。開放弦がくるっているのだろうと甘えたことをいってはなりません。

頼りにしている開放弦も楽器が温まったりするとくるってきます。また張り替えたばかりの弦のように緩んでくることもあります。しかし低弦になるほど開放弦は安定しています。弦楽四重奏などでは低弦はできるだけ開放弦を使うべきだと思います。そして上声部はその開放弦に対して響くように和音を構成しなければならないと思います。

 

楽譜

 楽譜は睨みつけてはいけないのです。殆ど暗譜していることが望ましいと思います。それで、初めて他人の演奏を味わう余裕がでてきて、本当に室内楽が楽しめるのです。他のプレーヤーと適当に目が合う状態が好ましいのです。

楽譜の貸し借り

 原則として禁止したいものです。楽譜には書き込みが入るものですし、それに、自分のパートさえあればよいというのはどうも好きになれないのです。コピーもその場限りのときにしたいものです。室内楽の愛好家は楽譜の蒐集家であることも多いのです。自分には一生弾く機会などなかろうと思っても、買ってしまった楽譜が沢山あります。

 自分の楽譜を整理しているとき、どこかのパートが欠落しているのは、耐えがたいものです。

数える

 一、二、三、と数えながら自分の出番を待つこと。30以上も数を数えることもあります。ブラームスのピアノ五重奏の二楽章のセカンドはひどい、一生懸命数を数えても結局落ちるのですから。

 本当は数えてはいけません。招きに応じて入って行くものなのです。機械的につくられた音楽でないかぎり必ずきっかけがありますから、ほかのパートを引き継ぐように入るものです。数えるよりもガイドを書きましょう。

かすみの一手

 万事窮した場合の方法です。どうしても指が回らない、音程が取れない、リズムがとれない等の場合につかう手段です。音はちいさく、自信たっぷりにが極意です。かすむ場合には勿論ご近所の皆様に助けてもらうことが大事なことです。またポーカーの練習を行なうとかすみの効果が倍になります。これは、最終手段たる、演奏中の一時休暇のための予備訓練です。

聴くこと

 室内楽に限らず音楽を演奏するかぎり聴くことの大切さは今更言うまでもありません。ではなにをどんな目的で聴くのでしょうか?こんなことを考えたことがありますか。十分に熟達したプレーヤーは遠くの景色を見るように聴いていると思いますが、初心のうちはなかなかそうは行きません。

 他のメンバーが発するメッセージは演奏を通じてしか伝わらないと言えます。動作もありますがあくまで特殊な場合です。従ってメンバーの演奏を聴く意外にはメッセージを受け取る手段はないのです。

 何を聞き取るか?リズムの共有にあると思います。自分達の演奏が合っているか、ずれているのか。メンバーがどのように弾きたいのか演奏が終わったときにどこを褒めてあげようか、それとも厳しい指摘を差し上げようか。観客の立場で聴いたら、どう聞こえるだろうか。等いろいろあります。

 さて、それでは演奏は聴き合うものでしょうか?わたしはそうではないと思います。長い時間で考えれば確かに聴き合うのでしょうが、瞬時で考えれば、ある瞬間にリードを取っているパートをそのほかの人が聴くのです。例えば、セロの短いパッセージが終わったら、アウフタクトを弾くセカンド ヴァイオリンをきき、それに続くファーストのソロに耳が移るというように、聴く対象が移動するわけです。したがってお互いに聴きあうという持ち合いのようなことは普通には起こらない筈なのです。

技巧

 お金のようなものです。いくら有っても困りません。でも大概の人は、持て余すほどは持っておりません。アマチュアの場合は、あまりお金がないのに、大変にお金がかかる曲に挑戦したがります。そして、過剰な債務を抱え込み、5分もしないうちに自己破産に追い込まれるのです。

基礎

 ホーマンのヴァイオリン教則本は室内楽の基礎を築くためには大変良いと思います。音楽的に弾く事が大変重要です。

 弦楽四重奏でいえばモーツァルトの初期、またはハイドンの弦楽四重奏曲だと思います。とくにモーツァルトの四重奏の方が作品がまとまって出版されており良いと思います。

 モーツァルトの四重奏については各パートの一般的なテクニックという意味ではとてもやさしいと思います。では、何を課題とするかですが。

 ある一楽章について全員が一度も音程を外さない事を誓う事です。これだけで弦楽四重奏の透明度は一挙にあがります。また緊張感の持続という課題も同時に果たされます。

 不必要に難しい指使いが全体の調和をひどく乱していた事実に気づくかも知れません。緊張感の持続と同時に音楽を心から楽しむことができるようになるまで練習することです。このような練習を続けるうちに、フレーズの処理、スタカート等々の問題にいやでも直面します。ここからは個人練習に戻ります。良い録音装置が必要です。

限界

 人間には限界があることは言うまでもありませんが、速度については弾きやすい音型で四分音符でメトロノーム240位が16分音符が演奏出きる限界だろうという感じがしますが。どうなんでしょうか。

 しかし幸いなことに芸術的な演奏はそんなに速いテンポを要求しませんから、もし誰かがその限界なるものを越えた演奏をしたとしても、だからどうしたと言うことになってしまうのでしょう。

 舞曲の演奏テンポは50年に一割の割で遅くなって来たという話を聴いたことがあります。そうだとすれば、我々が今聞いている曲の中にも作曲当時はもっと速く演奏されていたかもしれない曲が結構たくさんあったのではないかと思います。それならば原曲のテンポを守らなくても人を感動させる演奏ができるのだろうと思います。

 我々、アマチュアは演奏の特徴はテンポをあげようとすると音程、リズム、表現力の全てを犠牲にしなければならなくなる点です。しかしテンポを15%位落としさえすれば、何とか演奏できる場合が多いと思います。多少おそいテンポでどの様な芸術が作れるかを考えることによって限界をこえることができるのではないでしょうか。

弦楽四重奏

 初めて弦楽四重奏を経験したとき、どうしてこんなに豊かに音が響くのだろうと、それだけに感動しました。弦楽四重奏の一員としてサークルの中にいるのと、聴衆として聞くのとは全然響きが違います。どうしてこんなに魅力的なんでしょう。

固定ド唱法

 ト長調の音階をソラシドレミファソと音名でよぶ方法。つまり、調性に関係なくハ音をいつもドと読んで歌う信じがたい方法。

 調性を無視しては西洋音楽は語れません。調性の確立と機能和声によって西洋音楽がその基礎を固め、それが発展して古典音楽やロマン派の音楽となり、確立した調性は揺るぎ始め多調性や無調にまで行き着くことになったのだと思います。

 流動的な調性のなかに、重力の中心点を求めて移動ド唱法で音程を取るところに意味があるのです。これを固定ド唱法で読めば全ての問題は即座に解決しますが、実際にはなにも解決していないのです。

 導音のような考えかたも消失してしまいます。生徒にわかりやすい教えやすいという理由で音楽の最も重要な問題を避けてはいけない筈です。

 日本語の音名ではFis は嬰ヘです。それをト長調の音階でソーシードー と呼ぶ所をレーファーソーと固定ドで読んだら気が変になりませんか?ファの音感はFisではないのです。

原典版

 原典版の問題は作曲された当時の演奏慣習の把握には限界があるということだと思います。だから原典に忠実に作曲家の書いたとおりの譜をそのまま再現すれば、作曲家は「君達には常識というものがないのかい」というでしょう。

 これでは具合が悪いので作曲家が意図したと思われる楽譜を編集する。つまり原典版というものを作るわけですが、この場合にはどうしても音楽学者のお世話になる必要がでてきます。その結果理論的な面や、検証できる点に力点が置かれ整合性のある楽譜が出来あがることも仕方がないことです。そして重要な点である作曲家が持っていた演奏家、エンターテイナーとしての情熱的な側面はどうしても薄れていてしまうと思います。

 原典版の限界を知り、結局演奏は教養のある演奏家の感性に委ねられるということを認識することは案外重要なことではないでしょうか。

ころぶ

 指がもつれたり、弓がちぐはぐになったりすること。基礎練習をもっと積みましょう。ころんでしまうようなテンポを設定してはいけません。三連音符でころぶのは練習不足の明確な証拠ですねえ。

コントラバス

コントラバス奏者は奏者である以前に音楽家であることが真に求められます。単独では不器用で音量も大きくはないのですが、ひとたび合奏に混じると全体を支配します。素晴らしい奏者と演奏すると何もかも上手く行きます。ありがたい守護霊のようです。

ところが音程が不安定でかつリズムに問題がある方をお招きした室内楽は地獄化します。とくに後ろを振り向いて睨みつけることのできないチェロは気の毒です。初めは足をバタバタしたり、pをfで弾いたりして暴れますが、奇妙なオクターブでついてくるコントラバスのおかげで自分の音程も次第にバラバラになってきて最後には背後霊を呪いながら討ち死にします。

演奏が終わって「いや、チェロの音程がしっかりしているとひきやすいですねえ」なんて誉められたときのチェロ氏の表情は本当に複雑です。

そうです。コントラバス奏者は奏者である以前に音楽家であることが真に求められます。

集中力

 室内楽を演奏する場合の集中力は自分達のグループ全体がどんな音を出しているかに使われるべきです。自分のパートに集中するなかれ。なにも良いことはありません。

出版社

 出版社によって楽譜は違います。原典版についても○○社原典版という意味ですから同じ原典資料に基づいていても異同があります。いろいろな出版社の楽譜を見比べることは音楽に関する理解を深めますのでできるだけ広く見るべきだと思います。しかし演奏上は同じ出版社の楽譜を使うことは練習番号のこともあり極めて便利です。

初見大会

 手あたり次第の出たとこ勝負。室内楽だけの大きな楽しみ。しかしこれをピアニストに強要してはいけません。初見大会に貴重な一生を費やしてしまっては後悔すると思うのですが、懲りない人が実に多いのです。

小節数

 小節数をどのように数えるのか知らない方が多いようです。アウフタクトで始まる曲の第一小節はアウフタクトの次の小節。1カッコ、2カッコがある場合には、1カッコ、2カッコには同じ小節番号をふる。という規則になっているようです。

シンコペーション

 ここで合わなくなるひとがとても多いのです。このような方々はシンコペーション恐怖症に罹っておりタイで繋がれた長いフレーズをはるかかなたに認めただけで、もう自分が落ちてしまう恐怖に襲われます。そしてシンコペーションが近づいて来ると、今度こそはとばかり一ト、二ト、三ト、四トとお念仏を唱え始めます。始めの数小節はなんとかなるのですが結局は見事に成仏してしまいます。念仏の効果てきめんです。じつはお念仏さへ唱えなかったら上手く行っていたかもしれないのです。

 我々のうちなるリズム感が危機に臨んではどれほど頼りないものかは日頃メトロノーム氏の力説する所であり正しいと認めざるを得ないことです。だからシンコペーションのような危機に見舞われたときには絶対に数えてはいけないのです。

 それでは念仏以外の方法があるのかということになりますが、結論を急ぐ前にシンコペーションの重要さから考えて見ましょう。

 一つは、メロディーの癖としてでてくるもの。これは、そんなに長くなく、あんまり大きな、問題にはならないと思います。十分美しいですし、そのメロディーがすきになることが一番の問題解決になります。メロディーを構成するシンコペーションは非常に重要であり歌としての個性が問われます。


Beethoven Cello Sonata No5 Op.69

 二つ目はリズムの補填を目的にしたシンコペーションです。内声に現われる長いシンコペーションにはリズムを補う目的で書かれたものが大半をしめると思います。これに手こずる方が大半でしょう。このようなシンコペーションはリズムの補填を基本的な目的にしてますから目を吊り上げて演奏するほど大事ではありません。
Brahms String Quartet No3 Op.67

 シンコペーションでは拍が前に移行します。だから難しいのですが少し極端にアクセントをつければ、ほとんどレガートで演奏する長い後打ちと変わらなくなります。

 上記はBrahms String Quartet No3 Op.67の2楽章の1節ですが、Vn2,Vaに出てくるシンコペーションはチェロの進行に対して後打ちをしているのと変わらず、いわゆるリズムを補填しているにすぎません。そのまま、後打ちのように楽符を並べてしまうとぶつ切りになってしまうので、ブラームスはタイでつないでいるだけです。巧くシンコペーションが弾けなければ後打ちみたいに弾けば良いのです。

 したがってここのシンコペーションはメロディーを歌っているファーストヴァイオリンがテンポを揺らしたとして、チェロがそれにあわせて揺れたとしても、内声は自在にそれにあわさなくてはなりません。後打ちと考えればいくらでも自由にできるはずです。「私はややこしいリズムを演奏しているのだから、こっちに合わせてよ」というのは論外です。

 重症の方はシンコペーションの楽譜を後打ちの楽譜に一度書き換えてみて下さい。難なく弾けるので驚かれると思います。たまに頭の音を入れるともっと簡単です。それでアンサンブルとしての、全体の効果は、ほとんど変わりません。

ワルツの後打ちなら得意と言う方が多いことと思います。ブラームスが好きな頭にスラーがかかった3連音符は、ワルツの後打ちとなんら変わることはありません。

 正しい後打ちをしているときはここはメロディーにつけてやろうと余裕を持って、上機嫌で、弾いていませんか?シンコペーションも同じです。相手のメロディ(拍)に合わせて、後打ちのつもりで弾くことコツです。そして慣れてきたら、もっと音楽的な(表情のある)シンコペーションを楽しみましょう。(実はこれが作曲家が後打ちで書かなかった理由です。)

 あまり上機嫌で弾いているとどこまで弾いたかを忘れることがあります。弓使いをはっきり書き込むこと、メロディーを自分の楽譜にガイドとして書き込んでおくことも大変に有効です。

 もし仲間がシンコペイションで苦しんでいるときには、メロディを弾いている人はもっと音楽的に強弱をはっきりさせて弾いてあげましょう。シンコペーションに合わせようなどと考えるべきではありません。補填的なリズムを刻んでいるシンコペーションは決して、主役ではないのです。

 かすみの一手をつかってもどうにもならないときは、誰か作曲の知識のある方に書き換えてもらうか。一時休暇を取るようにするかです。いずれにしてもシンコペーションを恐れて、素晴らしいブラームスの作品を敬遠するのは人生の大きな過ちです。

スフォルツァンド

 アクセントとともに室内楽を演奏する方が必ず悩み、何とか解決しなければならない難題。特に強くと指定されているのだから、特に強く弾くわけですがその割には効果が上がらないのです。プロの有名な四重奏団の見事なアクセントやスフォルツァンドを聴くと「もうわかったよ、君たちはそれで生活をしているんだから、、、」とやけくそになってしまいます。

 スフォルツァンドにせよアクセントにせよ、長い音符の上にあるばあいには、必ず頭にアクセントが来てそれから音は急に弱くなって行きます。スフォルツァンドまたはアクセントの特長は急速に減衰してゆく音にあります。したがって弓を一杯に使って、まず根本で強い音出し後は一気に弓先まで引っ張る格好の良いボウイングでスフォルツァンドまたはアクセントを演奏することは大変に難しいことだと言えます。音を減衰させることが難しいからです。

 弓づかいを気にせずに、音をすぐ弱くする練習をしてみて下さい。強いアクセントほど弓づかいは小さくなるのが原則のような気がします。

 短い(速い)音符につけられたアクセントはその音の音価一杯に強くレガートするのが原則だと思います。表現上そのアクセントが重い意味を持つ場合にはアクセントを強調するために多少リズムを損ねてもかまわないようです。


Beethoven String Quartet No13 in B Op.130

スコア

 総譜のこと。室内楽を楽しむためにまず絶対に必要なものだと思います。使い方はいろいろあるようです。たとえば他の楽器との組み合わせを調べることとかですが、一番重要な使い方は自分の頭のなかで音楽を自由に再現するため道具としての使用法だと思います。

 CD等を聴くことも大切ですが技量の差がもあり、真似をしてみよう等と考えると怪我をしたり自己嫌悪に陥ってしまったりします。

 それでスコアを見ながらよく音楽を聴くのです。何回も何回も。そのうちに音楽を聴かなくてもスコアを見るだけで音楽が聞こえてくるようになります。これは決してスコアが読めるようになったわけではなく、スコアの助けを借りてその曲を暗譜したというに近いのですが、そんなことはどうでも良いのです。楽しいのはそれからです。

 テンポを自由にかえて(頭の中で)演奏も出来ますし、自分の演奏可能なテンポでどのようにしたらもっと良い演奏ができるかを考えることが出来ます。またほかのメンバーの苦労も良く分かりますし、逆にどうしたら良くなるのかも分かります。

 ピアニストはいつもスコアを目の前においています、それなのに意外にもスコアに馴染んでいない方が多いことには驚かせられます。理由はすぐ演奏してしまうからだと思います。その点一人では、二つのパートさえ絶対に演奏できない弦楽器は幸いです。楽器から完全に隔離されて、音楽を純粋に空想の世界で楽しむチャンスに恵まれているのです。電車の中でこれをやると、乗り越してしまうことがありますので、お急ぎの方はご注意を。

重音奏法

 音程を捕まえるのに精力を使い果たしどうしても汚くなります。きれいなヴィブラートがかけられるような音質が必要です。

 必ずしも音量が期待されているわけではありません。和音の音を補うために書かれているケースも多いと思います。

 しかし、本当に重音が必要なのかどうか首をかしげることも良くあります。下の例などはブラームスにより入念にチェックされているはずなのですがA音やD音がなぜ必要なのか分かりません。メロディとしては単音の方がきれいに演奏できます。でもここは絶対にこのとおり弾かなければならないところです。


Brahms Piano Trio H-dur Op.8

 この例は別として、弦楽四重奏などでは音を抜いたほうがきれいに響くところはがあると思います。

立ち往生

 最悪の事態。原因は色々あります。ファーストヴァイオリンが打ち合わせにないアゴーギグを試みた。セカンドヴァイオリンはファーストヴァイオリンに付き合ったが、チェロは自分のテンポに固執した。ヴィオラは次の難しいフレーズで頭が一杯だった。ずれてしまったのでファーストヴァイオリンはチェロに合わせた。そして全員がばらばらになった。そしてついに誰もいなくなった。という具合にして演奏は止まります。、だれの責任でしょうか。如何なる場合も弦楽四重奏ではファーストヴァイオリン、ピアノ入りの室内楽ではピアノまたはファーストヴァイオリンに責任があります。

 なぜならば、ファーストヴァイオリンは何かのメロディーを流しつづけることができます。絶対にあきらめては行けません。ソロを弾くつもりで10秒もがんばれば復帰できます。

調弦

 しっかりと調弦する必要があるのは勿論のことです。Aの音を取ってからその他の弦をあわせるのですが、必ずD,G弦もチェックする必要があります。そしてチェロとヴィオラのC弦も必ずチェックしましょう。

 調弦は舞台裏でやっておくべきですがステージでも一寸だけチェックしておくべきです。楽章間での調弦が必要であると打ち合わせをしてある場合には、楽譜に「ここで調弦」と書いておきましょう。

 調弦する場合の音量は最弱音で行なうべきです。ピアニストにはAの音を無造作にフォルテで叩かないようによくよく言い聞かせましょう。(罰金を取りましょう)

チェックリスト

 練習にでかける前にこれをチェックしましょう。

1.ピアノ
ピアニストは他のパートも一緒にもって行きましょう。誰かが自分のパートを忘れたら全てが水の泡になりますよ。

2.弦楽器
弱音器、爪きり、鉛筆、自分の楽譜(できれば全員の楽譜も)、ハンカチ、譜面台は?、予定表。それから楽器。

出だし

 アマチュアが最も苦手な部分。一緒にでることは本当に大事なことです。真剣に練習してください。アインザッツ参照

内声

「私は内声のほうが好きです。」というといかにも室内楽が本当に好きなような奥ゆかしい印象があります。

 私はファーストヴァイオリンを弾いていることのほうがずっと多いと思いますが、セカンド ヴァイオリン、またはヴィオラを弾くのが大好きです。理由は自由に弾けるからだと言えます。ファーストに較べて技巧的には内声のほうが遥に易しい。また外声、特にファーストヴァイオリンは普通は休むことは出来ません。しかしながら内声は演奏中に一時休暇をとっても大丈夫な場合が結構あります。

 外声はどうしてもなくてはならぬものです。内声はあるときには絶対に必要であり、ときはただ和音を埋めるための場合もあります。料理の素材が外声で、調理法が内声ということもできると思います。

 素晴らしい舌平目を外声は提供できます。それが塩焼きになるのか、フランス料理になるのかの決定権は内声にあります。あるときは最小限に手を加えて素材の味をそのまま活かし、あるときはこってりと煮込む必要があるのです。内声の働きを味付け程度に感じている方がいたらそれは間違いだと思います。

 刻みにしても、重音にしても、ニュアンスに富んだ伴奏音形にしても、突然ややこしい伴奏から跳躍してメロディを担当することも、誠実にしっかりと芸術的な表現に仕立てて行くのは大変なことです。焼き具合のいい加減な塩焼きでよいという板前にはすぐ暇をだすべきです。素材が良ければよい程素材に可哀相です。

 しかし素材が腐っていてはどんな調理も出来ません。したがってどちらが重要ということは勿論言えません。また外声はソプラノ、バスパートのことですから、セカンドが外声にまわることも良くあります。

 室内楽、特に弦楽四重奏のような場合には、四人で一つの音楽を共有しているわけですから、ヴィオラで伴奏音型を弾きながらもその時に鳴っているメロディのパートを頭の中でならしている訳です。自分がどこの音楽の部分を担当しているかだけの問題です。このような状態で室内楽が楽しめるようになれば、どのパートを弾いても楽しいものですし音楽的な味付けを沢山やるためには技巧的に易しいほうが良いことは言うまでもありません。

二重対位法

「そこの二重対位法とか転回対位法が、」なんて言われると対位法のことを知らない方はびっくりしてしまい、「それ、なあに」と聴くこともさへもびびってしまいます。単純なことなのです。簡単に言えばあなたがファーストヴァイオリンで弾いたメロディをチェロが弾き、あなたがチェロのパート弾いても対位法の規則にはまっていることです。なんでもないことですが対位法にはいろいろ規則があって、それに適合するのは結構厄介です。技法はともかく音楽的な美しさが必要ですから作曲家も大変です。

ハイドン

感謝の気持ちで一杯です。

反省

 テープを聴いて赤面するのは動物的な反応で反省ではありません。どこをどのように直すかを楽譜に書きこんで、さらったときに音楽的な反省が行なわれているのだと思います。(最近、反省をしなくなりました。)

はしる

 誰でもいつでもかかる病気です。伝染性はありません。細かい16分音符の群などが原因になります。CDの聴きすぎが原因かもしれませんし、練習のしすぎかも知れません。この病気は走っている自分に気がつかない場合と、走っている自分が分かりながら走っている場合があります。いずれの場合も名医のメトロノーム先生のお世話になるのが一番良いのですが、意外にも長期療養が必要で演奏会に間に合わない場合もあります。

 演奏会での解決法は、「みんなで走ればこわくない。」です。発作に悩みながら一心に楽譜を睨んでいる仲間に合わせてあげましょう。一次的な発作です。どこで早くなったテンポを元に戻すかをはっきり決めておくことだけが重要です。

八重奏曲

メンデルスゾーンの八重奏曲が有名ですが、演奏してみると期待していたような楽しみはなかなか得られないようです。ファーストヴァイオリンが大変なことは確かですが、アマチュアの手に負えない代物ではありません。

 大体、弦楽八重奏というのはどのように並ぶもの何でしょうか、ある実演では、Vn1, Vn2, Va1, VC1 ,VC2, Va2, Vn4, Vn3という順に並んでいましたが、この編成はどのように並んだとしても、旨く行きそうにはありません。皆で輪になってやれば室内楽の感じはでると思いますが、舞台で演奏する場合にはVn1が立って、ソリストと弦楽合奏にしてしまえばすっきりすると思います。

 八重奏曲では他人の音を聴くことが大変に難しくなってきます。聴く努力をしないとなかなか聞こえません。皆に聞こえるようにと大きな音量で楽器をならすと姦しい結果になります。そもそも八声部が同時に響くということはすでに特殊な効果だと思います。音楽は一声部がメロディを受け持ち他の2、3声部が伴奏にまわっているのが通常の形態ですし、音量的にはメロディのある声部の方がその他の全ての声部よりも大きいのが普通です。

 メンデルスゾーンの八重奏曲の出だしなど、ファーストヴァイオリンがしっかりとピアノで始めたとしたら、上記ようなバランスが保たれるように他の声部が演奏することは大変なことだと思います。ギターとの室内楽を演奏するよりももっと注意深い演奏が必要になるのしょう。

 弦楽四重奏で十分な年季を積んだメンバーでならば親睦をかねた楽しいひとときが過ごせるかも知れません。

発想記号

 楽曲の表情や表現のしかたを指示する記号なのですが残念ながら不完全です。音の高さや長さはほとんど完璧に表現されているにも拘わらず発想記号はすべて相対的で曖昧です。

 音楽演奏上の自由度はこの曖昧さに負う所が大きいと思います。そして我々が楽しみ悩むべきものは発想記号の解釈であるはずなのです。ところがアマチュアには天才の自覚がある故か、忙しいのか発想記号など気にもかけない方が多いのです。

 正しくアマチュアであるためには人から「ここはピアノですよ。」と指摘されてはならないのです。弾きたくても出来ないならば仕方がないのでしょうが、その場合でも彼氏の頭の中では美しいピアノのメロディが響いてなければいけないのです。「分かってるよ。でもうまく弾けないんだ。」でなければなりません。発想記号の見落としは大変恥ずかしいことです。また分からない記号に出会ったときは音楽辞典等で調べましょう。

 蛇足ですが強弱記号は次の強弱記号が表れるまで効力が持続します。 これを忘れると我流の演奏になってしまいます.。 

ファーストヴァイオリン

 弦楽四重奏ではもちろん誰もが憧れるポジション。しかし技量不足がその定義ともいえるアマチュアクァルテットでは一番報れないポジションであることにそのうち気がつくのです。クァルテットが幸いにも存続し演奏会を開いたり自分達の録音テープを聴いたりするようになるにつれ、ファーストヴァイオリンの表情が暗くなって来ます。そして気がふれたように練習を始めたり、ひどく走ってしまったり、かつての誇りと気高さを失ってきます。

 セカンド、ヴィオラやチェロはあそこが良かったと言われます。ファーストヴァイオリンだけが完全な減点主義で採点されます。聴衆の頭のなかにはアルバンベルクのピヒラーさんような名演奏が有るのです。あんな演奏ができればアマチュアじゃありません。それだけではありません。ファーストヴァイオリンが落ちるとクァルテットが止まってしまうことになりかねません。ちゃんと弾けたとひと安心しても、だれも褒めてはくれません。それで当たり前だからです。だから重圧だけが重くかかってくるのです。室内楽でのピアニストも同じです。

何とか演奏できただけでも誉めてあげましょう。

ピアニスト

 ピアノのはいった室内楽には極め付けの名曲、佳曲が多いのですが、難曲の森ともいえるでしょう。こんな日記をつけているピアニストがいるかもしれませんよ。

 「ピアニストには大きなハンディがあるのです。メンデルスゾーンのピアノ三重奏の出だしのところでチェロ氏が朗朗とメロディーをうたい出します。彼が歌い終えるまでに26個の音符を弾きますが、その間にピアニストは200個の音を弾かなければならないのです。

 たった26個の簡単な音符を弾くだけなのに、自意識過剰がたたってリズムがころぶチェロや、朗朗とひびいていると思うのは本人だけの自己満足型チェロ、音程が全く定まらないチェロ、そんな皆さんにピアニストはつきあわなければならないのです。そのくせ自分がころんだにすぎないのに、「ピアノさんもう少し頭をはっきりさせてくれると弾きやすいのですが、、」とか、「ここはペダルを使わないほうが、、」などと注文の多いこと多いこと。

 こちらだって、ロストロポーヴィッチかヨーヨー マのような音を心に描いて練習してきたのです。お互いさまじゃありませんか。

 もっと、腹が立つことがあります。ピアノ五重奏なんかを必死のおもいでさらっていくと、ヴィオラ氏が全くの初見だったりすることがあります。万年初見も腹が立ちます。ピアニストは50ページもある楽譜を毎日、暗譜するほど練習したのです。しっかりした音色と音程で弾けるところまで練習してきて下さい。弦の方々、ご自分の音色の汚さに少しは気づいて下さい。毎日ピアニストがさらう時間だけ音階とビブラートの練習を続けたらいかがですか。」

 ごめんなさい。反省します。―― 弦楽器奏者一同 ―― 

ピアノ

 音を弱くして演奏すること。これが大変に難しいのです。せっかく上手に弾けるところを弱く弾けとはなんという作曲家の身勝手。

 交通渋滞のなかで「カーブ、速度落とせ」というの看板に出くわすと同じくらいに腹が立つ方もいらっしゃるでしょうが、ともかくそういうときは楽譜を良くながめてなぜピアノなのかを考えてみて下さい。そしてどこまでピアノを続けるかをはっきり意識することが大事だと思います。

 次の発想記号が現われるまでピアノを続けるという原則は百も承知していますが、これが難しいんですね。

ピアニッシモ

 ピアニッシモはそんなに音は弱くない。ピアニッシモの音色で弾けばそう聞こえる。芯のある音じゃなければ通らないとかいろいろなご指導を受けます。そんなに複雑で難しいことなんでしょうか。随分お説があって困ってしまうのですが、テレビなんかで名手が弾いているのをみますと、さりげなく唯弱く弾いているように見えます。

 室内楽では伴奏している場合のピアニッシモとメロディーを弾いている場合のピアニッシモがあります。基本的には前者ではひたすら弱く、後者では表現を優先させてできるだけ弱くひけば良いと思っています。ただし一見単純なキザミがメロディと同等以上の歌を必要とする場合が極めて頻繁にあります。

弾けていない

 音が抜ける、転ぶ、どうしても走る、このようなところが多々あれば、聴衆のことを思い曲を変えましょう。初見で90%できる曲が演奏会にふさわしい曲だといわれています。

 

拍子

大問題を論じます。

 

 

譜めくり

ピアノの譜めくりの作法というのは、まずめくりが近くなったらページの右上を少しめくり演奏者が見えるようにしておいて、そしてピアニストの同意した時点でさっとページをめくると聞いたんですが、これは本当の話でしょうか?

譜面台

譜面台の高さはできるだけ低くするのが良いと思います。アインザッツのときは手元を見たほうが合わせやすい場合もあるからです。

練習にでかけるときは、譜面台を持参する必要があるか、必ずチェックしましょう。

ブラームス

ブラームスが嫌いな室内楽ファンはいないでしょう。ところが弾くよりも聴くほうが良いと言う方も多いのです。理由はリズムが複雑だからといつも言われます。

この話をブラームスが聞いたらきっと小首を傾げるのではないかと思います。ブラームスの音楽は古典的リズムの応用編であり、色々な組み合わせはありますがどれも人工的でありませんし、至極音楽的です。

ブラームスにリズム上の厄介さを感ずる方はモーツァルトやハイドンにも同じような厄介さを感じているに違いないと言えば、少々酷でしょうか。

フレーズ

先生:「フレーズを意識して演奏しなさい。」
K氏: 「フレーズはちゃんと意識してますよ。あなたが分からないだけです。失礼な。」

私達アマチュアは演奏会を聴きに行って最もうるさい連中なのです。大家を捕まえてキレが悪いの、コクが今一つなどといっている輩です。ただし自分の演奏は別です。あくまで別なのです。分かってはいても、決して演奏をつうじて音の形では聴衆に伝わらないのが我々なのです。と言う具合に反論したいものですがそうも行きませんでしょう。確かに我々はフレーズを表現することについて鈍感すぎるかも知れません。

フレーズのおわり

 フレーズの終わり、又は切れ目の所で丹念にリタルダンド等をかける方を良くお見かけしますが、これを習慣的にやっては音楽が止ってしまいますし、第一気持ちが悪いものです。

 テンポは一様に流れる物であり意識された表現上の意図があって初めて変えることができるものだと思います。決してテンポを変える演奏が良くないと言っている訳ではないのです。むしろその逆です。

 フレーズを意識する場合に必ずどこから、どこまでを明確にする必要があると思います。特にフレーズの終わりをどこまでにするかというのはなかなか決めがたい場合がありますがこのポイントを明確にして初めてフレーズの扱いが決まってくるのだと思います。

 またフレーズ終了後には原則としてもとの状態に戻しておくという意識が必要ではないでしょうか。

フルート

 問題の多い楽器です。楽器も入手しやすく割合簡単に音が出て運指法は合理的で易しい。さらに運動能力も高い。したがって大変にとっつき易く演奏する姿もなかなか奇麗です。それゆえこの楽器は問題なのです。初心者にとっての問題には優しい楽器ですが本当はひどい難物です。

 フルートと演奏する時に我々が望むのは美しい音色、正確な音程そしてダイナミクスです。特に美しい音色は重要でこれがフルートの存在価値です。ところがこの三点が非常に難しいのがフルートという楽器のようです。また初心者はこの三点がいかに重要かを認識してないようにも見えるのです。

フルーティストの鞄には沢山の楽譜がはいっております。そして機会があれば片っ端からそれをやろうと言いだします。モーツァルトの四重奏をしましょうというと貴重な4曲を全部やると言いだします。

 お願いですからハイドンの弦楽四重奏もフルートでいけますよ等とおっしゃらないで下さい。ショパンのプレリュードをエレクトーンで聴かされる思いで他の弦楽器は御付き合いしているんですから。

ホーマン

 ヴァイオリンの教則本ですが室内楽の基礎訓練に非常に適しています。小さなデュオの集まりですが芸術的に楽しく演奏可能です。弦楽四重奏も煎じ詰めれば二声部まで圧縮出来ますが、このホーマンの教則本はホモフォニックな物からポリフォニックな物まで、古典の演奏を行なうためのあらゆる基礎が盛り込まれています。

 どうやれば音楽的に演奏できるかを考えると言う意味でも、昔の楽譜を引っ張りだしてやってみる価値があります。

マナー

 室内楽の大変さはメンバーを見つけることにあります。アマチュアの場合はとくに大変です。気の合った仲間であること、技量がほぼ合っていることは重要です。

 そして何を目標にするかも大事です。演奏会を目指したい人もいますし自分達のために演奏したい人もいます。メンバー全員の意思を尊重することが何よりも大事なマナーです。そして個人練習をしっかりしておくことです。決められた練習時間には遅刻しないこと。(当日になってのキャンセルなど絶対にしてはいけません。)

 たまたま自分よりも遥に技量の高いグループのなかで機会があったとして、ラヴェルの弦楽四重奏が嘘のように簡単にできてしまったとしましょうか。このような場合に次回の予約を強引に取付けるのはマナー違反だと思います。ピアニストはこの点は要注意だと思います。

 次回の日取りを決めるとき「ちょっと予定がはっきりしないので後日連絡します。」といわれたらはっきり断れたのだと思いましょう。どのようなグループでも自分達に良く合う人を探しております。あなたがそれに叶っていれば必ず連絡がはいってくるものです。

万年初見

 何度も合奏したことがあるが一度も真面目にさらったことがない状態。言い訳の一つ。さらえばちゃんと弾けるようになるのかどうかは本人のみぞしる。

ハイドンを万年初見の対象にしないでください。宜しくお願いします。

メロディ

 メロディとは、音楽辞典によりますと、音高の連なりがリズムによって形象化された形態の一つ、と言うことになります。室内楽ではこれがドン ピシャリと適用されると思います。長い短いではではありません。

メトロノーム

 「こんな奴とは絶対に室内楽をやりたくない。一見リズムのことは俺にまかせとけという感じだが、じつは奴はひどいリズム音痴だ。この前僕がちょっと難しい曲を奴と二重奏したんだが、奴は速くなったり、遅くなったり弾きにくくってしようがなかったよ。そのくせ君はテンポが揺れるねえと責任を全部僕に押し付けた。」

 それでもリズム音痴のメトロノームさんにあわせて弾けることは室内楽のもっとも基本的な能力です。相手のリズムで弾けることがアンサンブルの極意です。相手が遅くなれば自分も遅く。相手が走れば自分もそれに合わせる。是非はともかくとして、これが出来るようになれば室内楽は十倍たのしくなること請け合いです。そのためにはリズム音痴のメトロノームさんと仲良く二重奏するしかありません。

モーツァルト

アンサンブルをやりましょうと言いますと「モーツァルトでもいかがですか」と言う答えが良く返ってきます。でも発表会になりますとなぜかもっと難しい曲に挑戦してしまうのです。

モーツァルトの弦楽四重奏

アマデオ弦楽四重奏団のホームページがあります。モーツァルトへの深い思い入れが好きです。
http://www1.harenet.ne.jp/~q9427m/index.htm

リステッソ テンポ

同じテンポでということです。わざわざそう書いてあるとよけいテンポを変えたくなる等と言い訳せずに、意味を知らなかったとあっさり白状したほうがかわいいものです。

リズム感

継続的リズムについて作成中

リズム(テンポ)音痴

読者の全員をリズム音痴にしてしまおうと思います。広義のリズム音痴の傾向と対策を考えてみましょう。

 1) 三拍子と四拍子の差のわからない人
 これは一拍子が永遠に続く人で三拍、または四拍で元にもどるという周期の感覚が希薄な人です。特に三拍子のサイクルを感ずることができない方が意外に多くいるようです。このような方は一つの音符を苦労なく3分割、または2分割することができません。しかしながら少し努力をすればメトロノーム 60/分位ならばできるようになりますから、もっと遅いテンポでも3分割と2分割が無意識にできる所まで訓練すれば克服できる問題のようです。私の経験では少なくとも2−3年の努力が必要になります。この問題を持っている方は合奏で音楽楽しむことをお勧めします。重奏は鑑賞にしたほうが無難です。

 2) 一定のリズムを保てない人
 大変に良く演奏できるのですが演奏中にテンポが無意識に揺れ動く人。そして演奏を始める毎にひどく演奏テンポが揺れる人。このために合奏不可能な人もいます。メトロノームと合わせることで簡単に直るのですが、本人が直したいと自覚しているかどうかが一番の問題です。George Shoeltyでさえ多くの時間を一定のテンポを刻むために割いていたという話を聴いた事があります。正確なリズムを保つことは演奏家として最も難しい課題だと思います。

 3)はっと気がつくと倍テンポまたは半分のテンポになる人

 これは日頃の勉強不足から起こります。何度も練習した 曲でこれが起こる人は滅多にいませんが、初見で起こる人は勉強不足です。たとえばバロックの様式に全くなれてないピアニストがよく嵌まります。その曲の流れを把握していないために起こる信じられない倍テンポ。突然、現われた黒い音符の塊に思わず倍テンポ。音楽の様式、慣習、ながれ等の理解により解消します。

 4)テンポ回復不能症
 リタルダンドがあるたびにテンポが遅くなって行き、どうしてもア テンポできない人です。誰かがア テンポしてくれるだろうという他人依存症または引っ込み思案も原因の一つ、もっと根幹にはその曲または音楽に対する理解不足とも言えます。ア テンポしないことの罪の深さを自覚すればすぐなおります。

 5)アインザッツ恐怖症
 怖い指揮者に起こられた経験があるのでしょうか?とにかく他人が出てから入れば良いと、結局遅れてしまう人を言います。これも室内楽では重罪に値します。
 もう一つのタイプがあります。自意識過剰型で、失敗するまい、遅れまい、音程を外すまい、ヴィブラートは巧くかかるか、などと準備をしている間にしっかりと遅れてしまう人です。治療法は簡単です、「だれも僕にそんなだいそれた期待はしていないよ」と思うことです。

6)シンコペーションが弾けない人
シンコペーションの項を読んで下さい。

 7)作曲家の意地悪さに負けてリズム音痴になる人

現、近代の作品に多いのですが正常な和声感、リズム感、フレーズの感覚を持っているがために指定されたリズムで弾けない人もいます。1、2、3、と正確に数えて、えい!とばかり飛び込むわけです。これは音楽ではないと心の中で思いますが彼氏はリズムに問題があると大きなレッテルを張られます。

リタルダンド

 だんだん遅くすること。誰でも一番簡単にできる発想記号です。さてリタルダンドはどこで始まってどこまで続くのでしょうか。

 リタルダンドをどこから始めるかについては趣味の問題だと思いますが終わりははっきりしています。ア・テンポで終わるのです。徐々に遅くなって行くテンポはあなたの最後に弾いた音だけでなくあとの休符までつづき、ア・テンポの拍の頭の直前まで続きます。

 4分音符が四つの小節にリタルダンドがある場合、第一番目の4分音符と最後の4分音符では音価が変わりますが、最後の4分音符を4個の16分音符で置き換えた場合にその四つの16分音符についても同様の音価の変化があります。もしその16分音符が休止符であったりすると、その休止符をリタルダンドされた音価としてカウントすることを忘れてしまいがちなのです。

ア・テンポに速く入り過ぎていませんか。

レガート

弦楽器のレッスンの最初の時間に習うものです。一番やさしいから最初に習うのでしょうか?それとも一番むつかしいから、最初からはじめるのでしょうか?

とにかく室内楽パートの大半はレガートが要求されています。滑らかに長い音符が弾けなかったら良い室内楽の演奏は期待できません。

練習時間

 私の場合20分位の練習時間は毎日確保できるはずです。弦楽器の場合には消音器を付ければどんなところでも練習できます。合奏の日が近づくとお酒に酔っていても練習しますから所詮やる気または必要性の問題だと思います。

 語学の上達の秘訣は自分の仕事も含めて、その語学に生活の中で4番以内のプライオリティを持たせることだという話を聞いたことがあります。これに見合う練習時間がとれれば上達するのでしょうが大変ですね。

わらう

指が笑う。なんてピッタリした表現何でしょう。

室内楽との出会い

 10才の時だったと思います。LPレコードが世の中に出始めたころの話です。音楽好きの父が盛んにレコードを集めておりました。全集もののLPレコードのなかに、かの有名なEine Kleine Nachtmusikがはいっていました。ヴァイオリンが弾けた私は父が集めていたスコアを見ながら、密かに弾いていました。

 ファーストヴァイオリンを弾くつもりだったのですが4楽章などはとても早くてついていけないので、仕方なくセカンドヴァイオリンのパートを弾いてみました。ところがセカンドヴァイオリンを弾いているうちに、これまでに感じたことのない奇妙な喜びがわいてきました。とんとんと音を刻んで行く楽しさ。そして自分が音楽の内側にいる楽しさ。メロディをききながらセカンドのパートを弾くととても気持ちが良いのです。

 練習曲しか弾いたことのなかった私には音楽の隠し部屋を覗いたような不思議な体験でした。私の室内楽の喜びの原体験です。

今思い返せば弦楽合奏のパートを弾いただけですから弦楽四重奏ではないのですが、その当時の私のレベルでは十分な室内楽体験だったと思います。その当時のもう一つの強烈な印象は、きちっと纏まったスコアの美しさです。つまりVn1、Vn2と奇妙なヴィオラ記号とヘ音記号からなる弦楽四重奏のスコアの視覚的な美しさでした。これだけで完璧な音楽が響くのだと思ったのです。

 その後現在まで多くの素晴らしい仲間にめぐまれ弦楽四重奏を主体に沢山の室内楽を楽しませていただきました。