発想記号を含む表現の分析

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第1主題部
第2主題部
議論

提示部と再現部は原則としては同じ発想記号がつけられるべきです。もし提示部と再現部での発想記号に違いがあるならば次の場合が考えられます。

1)作曲家が意図的に発想記号を変えた。

2)作曲家自身のうっかりミス、刻版や校正の間違いによるもの。

3)楽譜編集者の編集により姿を変えている場合。

ここで原典版や原典などを参照する必要が出てきます。楽譜編集者による変更のケースは非常に多く恣意的に変更されたものもあります。また原典版作成上、不統一であったものを統一化したという場合があります。この問題は演奏に直接影響しますから時間の許す限り追求をしたいところです。

しかし多くの時間を使った割には泥沼化してしまうことが良くあるので。通常は信頼できる原典版を基本にして他の出版社の楽譜を参照する程度で良いと思います。結論的には演奏者がどのように判断するかの問題です。発想記号と曲のバランスを考えて作曲家の意図であると結論したならばその通りに演奏すべきです。音楽論文ではありませんから1つの発想記号を決めなければ演奏できません。

第1主題部

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1楽章について第1主題部から検討をします。提示部第1主題部は3小節から94小節までです、再現部第1主題部は343小節から434小節までです。小節数は両方とも93小節の長大なものです。

第1主題部比較表

提示部 再現部
小節 小節数 名称 調性 楽器 小節 小節数 名称 調性 楽器
3-16 14 T1 G Vn1 343-356 14 T1 G Vn1
17-32 16 T1a G Vn1 357-372 26 T1a G Vn1
33-52 20 P1 H Vn1 373-392 20 P1 H Vn1
53-66 14 T1 G Vc1 393-406 14 T1 G Va1
67-82 16 T1a G Vc1 407-422 16 T1a G Va1
83-94 12 T1による G Vn1 423-434 12 T1による G Vn1

 

第1主題部について見ますと、提示部と再現部は全く同じ調性で同じ構造で書かれています。ただ提示部ではチェロで演奏されたメロディがヴィオラになっております。T1,T1aは基本的に全く同じで、ただ再現部はピチカートによる音型で多少飾っております。ここに展開部で使用された主題T1の縮小された形の余韻を嗅ぎ取って演奏に反映させるかどうかは趣味の問題だと思います。T1,T1aについてはブラームスは厳密な再現を求めているようです。

調性的にいって、第一主題部はG−durだけといって良いほど単純です。これは主題の性格によるところも多いにあるでしょう。その平坦さに対してアクセントを与えているのがこのP1です。この部分がなければ曲全体が平凡なものになります。P1H-dur, E-dur, e-moll, G-durに回帰します。この経過句をへて主題の再確保を行なっているわけですが演奏効果を出すことが絶対に必要です。

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経過句P1

53小節(Vc1)および393小節(Va1)から始まるT1について発想記号の指示が微妙に違います。チェロにはmezza voce, p dolceと指示し、ヴィオラにはespr. mezza voceと指示しています。その他はほとんど同じであり。私は再現部の第一主題部については厳密なリピートを行なうのが作曲家の意思のように読めます。チェロとヴィオラの発想記号の差は楽器の特性を考慮したブラームスの指示だと思われます。

第2主題部

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第2主題部には序奏があります、この部分が提示部(133-134)と再現部(465-468)では大きく違っております。提示部の序奏はごく普通なものですが、再現部ではVa2/Vc2>Vn2>Vn1と受け継がれ作曲者のこの部分への思い入れが感じられます。美しい第2主題の入りを最大限効果的に演出しています。クレッシェンド、デクレッシェンドの度合い、アゴーギグなどをどのようにするかなど演奏上の課題が沢山あります。また構造的にも第2主題の出だしですし何か特殊な工夫をしても良いところです。知恵を絞ってください。

提示部の第2主題への入り

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再現部の第2主題への入り

 

第2主題提示部(135-142Vc1,再現部(469-476Va1

提示部 再現部
小節 小節数 名称 調性 楽器 小節 小節数 名称 調性 楽器
135-142 8 T2 D Vc1 469-476 8 T2 G Va1
143-150 8 T2 D Vn1 477-484 8 T2 G Vn1
151-162 12 T2a d Vn1/Vc1 485-496 12 T2a g Vn1/Va1
163-179 17 T2b D Vn1/Va1 497-513 17 T2b G Vn1/Va1

提示部ではVc1 poco f, espress.の指示で実に美しく春の日差しのように明るくのびやかに入ってきます(135小節)。ところが再現部ではVa1mf, espressで入りすぐにクレッシェンド、デミヌエンドがあります。ここは提示部とははっきり作曲家の要求が違います(469小節)。ここから少しトーンを変えてご説明します。

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再現部第2主題

議論

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斬新な解釈が好きなA氏:
「この部分は
Vn1とVc2がデリケートな縁取りをしているでしょ、もしVn1がここぞとばかりしっかりと目立とうとしていればそれは間違いだとおもうし、Vc2が楽しそうにゴボゴボとやっていればこれもおかしいと思う。提示部のような感じでVn2が気持ちよく弾いていれば「静かに」だと思う。そして全てをVa1君に託して、彼をみんなで応援すべきところだよ。ここは。提示部とははっきり内容が違うと思うんだがどうかなあ。」

B氏が反対した:「僕はそうは思わないけれどもね。ここは提示部でのVc1がヴィオラに代わっただけであり、表現の内容はあまりかわってないと思う。この曲ではブラームスは結構形式的にキチットした簡潔なものに纏めているでしょ。よほどの理由がないかぎり定石通りの表現をすべきだと思うよ」

C氏は別の意見だ:「提示部の明るい表現に対比させ、ここでは全体で柔らかい感じで響かせることという表現を求めているのだ。チェロにあるゴボゴボは第1主題の基底にある音型を使って第1主題から離反した感じに見える第2主題を統合しているのだ。地味だが効果的な表現だとおもう。ここは全体の響を聴かせるべきじゃないかな」などと。

D氏:「いや違う。この曲にはブラームスのアガーテに対する想いがこめられている。もちろん失恋の苦しみもね。第2主題部はアガーテのモティーフがクライマックスで表現されるんだよ。ブラームスとしても力が入っているんだ。提示部ではブラームスの楽しかった恋の思い出が語られている。だからVc1の明るい高音で歌がうたわれ、そしてVn1,Vc1のユニゾンなんだ。あそこにはランデヴーがある。ところが再現部ではもうこの歌は苦い記憶の中にある歌なんだ。だからブラームスはメランコリックはVa1を選び、その後に続くVn1もソロなんだよ。まさにFloelich Aber Einsam だよ、、」、、、等というように果てしない議論が起こります。

どのような結論になるせよ、望む響が決まれば、それに対応する各パートの表現法は簡単に決まるものです。長い議論の後、このグループではA氏とD氏の方向で話が纏まったようです。

例えば下の例のように弾くことで合意されました。Vn1は淡い色調を整えます。Vn2はしっかりVa1を支えますがヴィヴラートも最小限にします。しかしVa1のクレッシェンドにあわせて少し歌います。Vc1の役目は黙って和音を埋めることです。ここは歌はないことにします。このような環境でVa1に美しい歌を歌ってもらいます。

再現部第2主題演奏解釈例

提示部での演奏は下記のようになります。Vc1はここぞとばかり有頂天で精一杯に歌います(但しpoco forte)。Vn2,Va2も十分に歌います。チェロとの音程の差があることや、楽器の音域の差から十分歌っても大丈夫です。そしてVa1は楽しそうにしっかりと刻みます。刻み方はVa1氏の感性に任せる事になりました。Vc2は上声部に対応してしっかりとピチカートを弾きます。このようにして提示部での第2主題と再現部での第2主題の扱いをはっきり変える事ができます。以下に譜例を示します。

この解釈は楽譜を良く読み検討することから導かれており、単なる思い付きの解釈ではないことはご納得いただけると思います。

提示部第2主題演奏解釈例

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その後の(143-150)T2についてはVn1,Vc1のユニゾンであり、Vn1にはf.espr.の指示があります。これに対し再現部ではVn1がソロでpoco f,espress.で歌います。音量は増加しております。続くT2aでも提示部:Vc1,mf   cress.poco a.poco, に対し 再現部:Va1,poco f, espress   cress.poco a pocoです。詳細は省略させていただきます

続くT2b:提示部:(163-179),再現部:(497-513)はアガーテのモティーフが入っておりクライマックスになっています。調性の差はありますが両者は全く同一です。ただしG-durに戻っている再現部の方が良く響くと思います。

さてこんな議論が始まりました。

再現部T2b

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A氏:「ここはクライマックスなんだ。しっかり音を出そうよ。特にヴィオラの2番は重要なんだよ。第1ヴァイオリンも、第2ヴァイオリンも第1ヴィオラも第1チェロもここはみんな上の方に舞い上がってアガーテ様とやるでしょ。だから和音を埋めるのは第2ヴィオラのピチカートの4重音しかないんだよ。本来ブラームスはクラリネット、ファゴット、ホルンにセカンドとヴィオラが欲しいところなんだ。楽器がこわれんばかりのピチカートをお願いするよ。」

Va2:「でも、楽譜の指定はフォルテだよ。みんなもちゃんと譜面を読めばフォルテでしょ。」

Vc1:「ブラームスは控えめだからfで書いたけれども、ここはクライマックスだと思うよ.しっかり出していいんじゃないかな」

Va2:「そうかなあ。この曲の全体のクライマックスは展開部の後半ffの部分にあると思うよ。ここではブラームスははっきりとffを指定している。ソナタとしては第1主題に重要性が置かれるのは当然のことだし、この曲も第1主題のが徹底的に使用されている。このアガーテのくだりは、一寸控えめに第2主題部のくくりとして使っているだけだと思うよ。それは実に丹念に書かれてはいるけれども、ブラームスとしては大声でわめきたてて欲しくないと思ったに違いない。それにヴィオラを非常によくしっているブラームスがヴィオラの4重音のピチカートで内声が支えられるなどと思う筈はないと思うよ。このヴィオラのピチカートは全体がフォルテッシモではないことを証明しているようなもんだよ。」

Vn1:「でも、どこのグループでもここはがんばっているけれどもねえ。」

Va2:「それこそ、解釈が間違えてるかもしれない。フォルテできれいにやったらどんな表現ができるか実験してみない。」

Vn1:「やってみようか」

 

さて、どんな結果が出るのでしょうか。上記のほかに論点としてなぜVc2がピチカートなのか?提示部ではVc2はfの指示だけです。ところが再現部では497,499小節にfが書いてあります。そして501小節にはありません(これはミスでしょうか、意図したものでしょうか)。Vn1/Va1,Vn2/Vc1のユニゾンがffの効果をねらったもので無いならば、なぜユニゾンに下のでしょうか。微妙な表現を要求するならば重ねないほうが効果があがります。読者の皆様はどのようにお考えになりますか。

このようにして、発想記号を含む分析を行なうことにより初めて作品分析は、演奏解釈と結びついてきます。

その他の部分の分析をご紹介すると非常に長くなってしまいますので、割愛させていただきます。

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